70歳、古稀を迎えました!

1950年(昭和25年)11月16日に誕生して70年が経ちました。

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「古稀」という実感が沸いていませんが、とりあえず70歳の節目です。

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天竜川の支流、気田川の中流部、春野町河内で、岸本太三男と政代の間に長男として生まれました。姉と弟の3人兄弟の真ん中です。
かすかに思い出に残っているのは、道路の下の竹やぶを北側に控えた平屋の古い貸家です。たしか地名は「ささんま」とか・・・。
4歳になった昭和29年には、気多中学校前に新築した家に移りましたが、幼いころの記憶はほとんどありません。

王子製差が明治時代に日本で初めて製紙工場を建てたのが気田で、気多中学校はその工場跡地に建てられており、王子製紙のレンガ造りの事務棟が残っていました。家の前の道路は未舗装で、その向こうに水堀が流れていました。

小学校は家のすぐ後ろ、道路を隔てたところが中学校という通学時間3~5分という立地でした。

父は、天竜製材(株)の山林部で木材の仕入れを担当しておりましたが、第2次世界大戦ではサイパン島に出兵、銃弾、手りゅう弾を受け重症となっていたののちところを米軍に捕らえられ、ハワイ島での捕虜生活ののち終戦後帰国し、片足が不自由な傷痍軍人でした。しかし健常人に負けない努力で家庭を支え、当時地域では高額所得者で不自由ない生活(自家用車、テレビなどいち早く購入していた)を送らせてもらいました。
母は大正10年に中川根町の山林家の2女として生まれ、山奥ではあったものの当時では珍しい高等女学校(榛原高校)に、お手伝いさんつきで通学するなど資産家の娘としてぜいたくな暮らしの中でいたようです。戦中は父の実家の離れで暮らしていましたが、一度は父の戦死の報に接し、葬式までしたものの、父が生きていると信じてその実家に居座るなど気丈な性格でした。

当時、小学校は2クラス、中学校は4クラスありましたから、子供の数はまあまあいたと思います。秋のお祭りは豪華な屋台の引き回しもあり、盆踊りなどの催事も盛んにおこなわれ多くの人が集っていました。

教育熱心な母のおかげで、小学校の頃はバイオリンを習わせられたり、高校は町に出て一人で下宿生活をしながらの勉強でした。

学生時代から社会人へ・・・磐田、三島、静岡、清水そして藤枝と居住地を変え、静岡で妻と出会い32歳で結婚、2人の娘を育ててきました。そして、新社会人として県中小企業団体中央会に入り61歳まで勤め、静岡市役所に4年、そして65歳からは静岡大学に勤め、今に至るという恵まれた生活をしてきました。
思えば、いろいろなことがあった人生だけれど、もう少し、頑張りたいと思っています。

孫からのうれしいメッセージ。母からは枕、娘からはチーズの詰め合わせと、パーカー。
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