69歳になった

1950年11月16日に誕生した。
今年で満69歳になった。

IMG_4057.JPG

生まれたところは、浜松市の中心部からずーっと離れた、天竜川の支流である気田川沿いの集落である周智郡春野町の河内地区の借家。
昭和29年に父親が気多中学校の前に家を新築して、自分の記憶ではこの家から自分史がはじまっている。

明治時代に、王子製紙が日本で始めて製紙工場を始めた場所がこの地である。
(製品を出荷するために、天竜川、気田川を帆掛け舟が行き来していた)
(フェアレディZに父は、幼少期にここで過ごしていた。
また、営林署の拠点があり、昔は結構栄えていた土地であったようだ。

昭和になって、気田、犬居、熊切の2地区が合併して、春野町となった。

人口は、1万人以上あり
それだけに、狭いエリアに、旅館は5軒、医者が4軒などがあったし、小学校の生徒は300人以上いたのではないか。

お盆や秋のお祭りも結構盛大に行われていた。

父は、材木を扱う「カクテン(角天)天竜製材㈱の山林部長」、母は専業主婦。
第二次世界大戦でサイパンに行き、銃撃等を受け瀕死の重傷のなか捕虜となってハワイに収監され、戦後1年たって帰国した。
おなかに銃弾が貫通したあとがあり、右足は手榴弾のために甲が砕け、薬指が欠損の状態だった。
しかし、仕事で山の中に入り、現場で出材などの指揮をするときはそんなことを感じさせないものだった。

薪で沸かす五右衛門風呂、まだかまどが会った時代、薪が小屋にうずたかく積まれ・・・、夏の川遊び、お祭りでの屋台引きやお盆での灯篭行列、などなど懐かしい・・・。

そして、高校からは単身磐田で生活を始め、以来、東京4年、三島1年、清水8年、静岡11年と渡り歩き、藤枝に居を構えたのが、平成5年8月。長男としては、田舎の面倒を見なければならなかったが、父を38歳の時に亡くし、母は約20年間、田舎で一人暮らしをしていたが85歳で肺炎を患い入院先で負傷したのを契機に同居したものの、、、91歳で亡くした。

誕生日には、妻と次女からプレゼントが・・・

歳を重ねるごとに、先への夢は少なくなり、思い出に浸ることが多くなってくるのは避けられないのかな。

あと何年生きるのだろうと思いながら、誕生日を迎えた。

娘からは、スウェット
IMG_4023.JPG

妻からは、ラルフローレンのシャツ
IMG_4063.JPG






ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント