子供から・・母へ

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懸命に生きていたんだな。

生意気で、プライドが高く・・・・弱音をはかなかった  母 へ

(続き)

一方、親族の多い家系で、その付き合い、さらには地域での新参者としての付き合いも欠かさなかった。
昭和40年、昭和45年、昭和47年と次々と子供たちが田舎を離れ、夫婦ふたりだけの生活が始まる。

夫は、いわゆる山師のごとく、毎日材木の仕入れのために現場や山林家のもとに出かけ、家事はいっさい任された。そんな中で、たまに帰省する子供たちの顔を見るのが楽しみだった。

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 得意な料理は、田村肉店で買った肉で仕上げたヒレカツやポテトコロッケ、野菜の天ぷらなどの揚げ物。
ご飯を醤油だけで炊き込んだ桜飯なども・・・。
山芋のとろろ飯も大好物だった。
大原屋から大盛りの刺身を買い、食卓に並べるのも定番だった。

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 太三男52歳のとき、勤めていた天龍製材㈱が外材輸入で損失を出し、その責任をとる形で退職、これまで右肩上がりで成長してきた岸本家にとっては一大難治。

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次男の大学入学も話題に上がったものの、長女と政代が「何があっても頑張る」の一言で乗り切ることに。。

その後は、太三男は個人経営の材木商として慣れた山々を歩き回った。



夫が買い求めた1町歩たらずのマイ・山林を夫婦で見て回るのも楽しみだった。

長女を天龍の山林家の長男のもとに嫁がせ、次男、長男の順番で結婚させ終わったのは、昭和57年のこと。政代が60歳のときだった。


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