会津磐梯山が泣いている?

11日と12日、福島県にて全国団体が主催する「トップセミナー」への参加。

復興支援の一環としての被災地での開催。全国から約100人が参集。


***紅葉が進む磐梯山(1819m:山頂から半分が噴火で吹き飛ばされ、双頭の峰に)***
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 午前9:36分の東海道新幹線ひかりで東京に・・11:08の東北新幹線Maxやまびこで郡山下車12:31.
シャトルバスで約40分。現地ホテル会場に着。場所は、郡山に近い、”磐梯熱海温泉”の客室数160余の大規模ホテル。
 
13:20開会。

佐藤福島県知事が来賓として出席、福島県が抱える窮状を訴えるとともに、復興にはこうした外部から観光地に来てもらえることが大切と力説した。

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たしかに、ここ磐梯熱海温泉には・・・
紅葉の名所磐梯山を控え、シーズン直前なのにホテルには観光バスの姿は無い。
街も静まり返っている。
「放射能汚染=福島」というイメージがまだまだ払しょくできていないことがうかがえる。

  翌日訪れた、会津若松も全く同じ光景・・・すなわち観光客がほとんどいない、にぎわいが失われた風景に遭遇することになる。


11日の会議は、順調に進み、会議後の立食形式のパーティーで閉会。
パーティーのコンパニオンの一人は、震災避難者でしたが・・・なんと10月8日~10日、伊豆長岡温泉まで慰安旅行に行ってきたんだと。
往復バス、宿泊含めて自己負担1万円とか・・・・これも復興支援の一環なのかな。

おおきくて立派なお風呂に、お湯が満々と流れ続けているとはいうものの、この巨大ホテルを維持する費用が思わず心配になる。


   翌12日、朝7:00、ブッフェスタイルの朝食を済ませ、8:30、ホテルの車でJR東日本・磐越西線の磐梯熱海   駅へ向かう。これから、単身、会津若松城(鶴ヶ城)を見に行く予定を立ててある。

 車中、運転者さんが、「震災から7カ月を経つのに、お客さんはさっぱりで、先日まで支援隊として静岡県警から約100人あまり、2週間滞在してくれていた。そういう客でも大変ありがたい。ぜひ東北に足を運んでください」と、話したのが印象的だった。


*さびしげに立つ駅舎*
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会津若松まで運賃は820円。約1時間の乗車時間だ。
8:47・・・快速会津若松行きに乗り込む。乗り込んだ乗客はわずか5~6名。
もちろん、車内はガラガラだ。

  ***乗客もまばらなホームへ、快速電車が到着***
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車窓からは、色づき始めた山や高原、そして稲刈りを控え、黄金に輝く田園が見られる。
秋本番・・・空は青く、空気が澄んでいる。陽射しは強い。

進行方向に、磐梯山の巨塊が次第に大きく見えてくる。
頂上から半分くらいは、もう紅葉している。

左手には猪苗代湖が・・・・しかし電車からは残念なことに見ることができない。
それにしても、観光客と呼べる人の姿はまったくと言っていいほど、見当たらない。
いくらローカル線だといっても・・・

  これでは、会津磐梯山も泣いているのかも・・・・・


9時半過ぎ、会津若松駅到着。

駅には武士の恰好をした案内人が3人・・・平日とはいえ、やはり観光客は皆無。
駅頭に立つ”赤べこ”も心なしか寂しそう。
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観光案内所でガイドブックをもらって、とにかくお目当ての”鶴ヶ城”にタクシーを走らせる。

「こちらはお客さんの入りは、どうですか?」
「いやー、まいりましたね。まったくと言っていいくらいヒマで・・・。ここ会津は、放射能の数値も平常だし、影響なんてないのに、・・・那須高原なんてこちらよりも数値が高いのに、子供なんかも行くし、にぎわっているっておかしいよね。・・・報道がかなり影響してるんだよね」

木立に隠れた苔むした石垣、そしてお堀・・・歴史的建造物が数多く残る会津の街の中にあって、鶴ヶ城は五層の天守閣を持つにもかかわらず、樹木に囲まれて遠望が出来ない。

600年前、葦名盛氏が東黒川城を築いたのが始まりとされ、以降、伊達家、蒲生氏卿、加藤家、会津松平藩の始祖保科正之、9代松平容保まで続き、戊辰戦争で幕を閉じた、悲劇の名城。

一歩、城内に踏み込むと、手があまり加えて羅レていない石垣などに目が移る。

**真っ青な空に浮かぶ赤瓦の天守閣**
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**守備の兵が石垣の上にかけのぼるための石段***
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**追手門の石垣***
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400円を支払い天守閣内に・・・”保科正之”特別展示・・・家訓15条が展示。
また、当地は上杉景勝、直江兼次が治めたこともあって、その面影も残っている。

**天主と鉄門(表門)に続く南走長屋(内部は復元されている)**
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**お堀は昔の面影を**
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会津は、さまざまな歴史の跡がある。東北の入り口としての位置づけ、戦国期から徳川政権に移行、そして幕末・明治までの歴史物語には枚挙のいとまがない。市内各地に点在するこれらを見て回るには時間が足らない。
帰りの時間を気にしながら、昼食に。
***會津葵本店***
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直江兼次屋敷跡や、會津酒造歴史館・蔵元宮泉を横目に、タクシーの運転手に教わった
郷土料理の老舗「田季野」に向かう。
**歴史的建造物でもある、「蔵元・宮泉」画像


 













元祖 輪箱(わっぱ)飯・割烹會津料理  の ”田季野”。150年ほど前の旧陣屋を移築・利用。
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<9種類のわっぱ飯の中から、五種わっぱ1890円をチョイス。>前菜2品、みそ汁、お新香つき
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前菜2品のうち手前は、けっとばし(馬肉)。
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お腹が満ちたところで、駅に・・・”かんのや”のゆべしと柏屋の薄皮饅頭、そして800年の歴史を持つ”五郎兵衛飴”を買い求めて・・・帰路に。

12:50発の高速バス(1000円)で郡山まで約1時間。14::33のやまびこで東京へ。




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